カテゴリー「白血病 闘病記」の6件の記事

番外編: 急性リンパ性白血病(6) 維持療法

2009年10月22日(木)から長男坊の「維持療法」が始まった。最初なのでロイケリン(メルカプトプリン)は標準量ということで一回分として33mg(ロイケリン散10%×0.33g)を処方され、2週間後の血液検査でそれが適量かどうか確認・調整する。これは毎日一回。加えてメソトレキセートを週に一回、2.5mg×8錠。薬局で錠剤を粉砕してもらって服用する。「普通の調剤薬局にこの処方箋を出すと驚かれるかもしれませんが、この量で正しいです」とわざわざ先生が言って確認したくらい結構な量らしい。

2週間後の11月5日(木)に再び外来で成育に行き、血液検査を済ませてから診察。やはり白血球数が4,540/㎣と、基準の4,000まで下がりきっておらず、ロイケリンを40mgに増量することになった。次は3週間後の外来で確認する予定。この日の血液検査では新型インフルエンザの予防接種ができるかどうか確認するため、IgG(免疫グロブリンG)の量も調べた。インフルエンザワクチンの皮下注射では血中の抗体IgGにしか免疫がつかないので感染自体は防げないそうだが(感染ルートの鼻・喉の粘膜では主にIgAが免疫として作用)、肺でのウィルス増殖にはIgGが作用するため、長男坊のように免疫抑制剤を服用している患者にとっては重症化リスク低減のメリットが大きいということだ。1ヶ月前は「推奨しない」と言われたが、このところ新型が猛威をふるっているので出来るだけワクチン接種したほうが良いという判断に変わったのだろう。このときの長男坊のIgGは、336mg/dl。これはまだ標準値に比べれば低い水準で(500あれば安心らしい)、インフルエンザワクチンに対して抗体ができるか微妙な値のようだ。しかし、新型インフルエンザのリスクを考えると予防接種を受けておく方が良いという判断で、優先接種の証明書を発行してもらった。ただ、主治医いわく、成育でも新型インフルの予防接種についてはっきりした見通しが立っていないため、次の外来(11月26日)のときに可能であれば接種するけど、もし地元のクリニックなどで早めに受けられそうならそちらを予約して受けてしまった方がよいとアドバイスされた。

問題は「地元」のクリニックや病院に問い合わせてみても、全くらちが明かなかったことだ。神奈川県や川崎市のホームページには11月16日から優先接種が開始とあるが、病院側ではいつ新型のワクチンが入荷するのか不明なので予約もできないという返答ばかり。そうこうするうちに、府中のママの実家近くのクリニックが予約を受け付けているという情報がばぁばから入り、ばぁばが直接話をつけに行ってくれて11月17日の予約が取れた。そこでは3歳の次男坊も同時に打てることに。ただし2回目の接種までは予約できないので、それは地元の状況も見て考えることにした。

(川崎の自宅近辺の病院・クリニックでも、ようやく13日になって新型の予防接種についてHPで告知を始めたところが出てきた。今はまだ混乱してそうなので問い合わせを控えているが、もうしばらくして落ち着くことを期待している。)

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番外編: 急性リンパ性白血病(5) 最後の入院

2009年10月13日(火)は、1月から続いてきた強化療法の最終日、すなわち最後の入院だった。この日はオンコビンの静脈注射とロイナーゼの皮下注射、そして昼食後のプレドニン内服で全ての投薬が終了。翌14日(水)に主治医達とパパママが面談し今後の維持療法について説明を受け、その夕方、10ヶ月半にわたって長男坊の胸の中に埋まっていた中心静脈カテーテルを抜いた。カテを入れるときは手術室で全身麻酔だったが、抜くときは部分麻酔なので病棟内の処置室で30分足らずで済んだ。長男坊には「お芋掘りだよ」と事前によく説明しておいたので、泣いたり騒いだりせず無事成功。3歳10ヶ月で入院して治療が始まった頃は、暴れたり泣き叫んだり大変だったが、彼なりにつらい治療を受け入れ、強く成長したんだなあと感慨深い。15日(木)の朝にカテーテルを抜いた外科の先生が診察に来て、退院許可が出た。傷口からの感染を予防する抗生剤(メイアクト)と、いつものバクトラミンを処方され、午前中に退院し帰宅した。帰り際、当直看護師の呼びかけで病棟内にいた担当医師や看護師長、顔見知りの看護師達が見送りに来てくれて、シャイで無愛想な長男坊も内心うれしいのか、「ありがと」「さよなら」と挨拶して出てきた。

治療はまだまだ続くが、今後は入院がなくなり、カテーテルが外れたのは大きな節目だ。本人だけでなく、入院付添や自宅でのケアを一身に請け負ってきたママにとっても「解放の日」と言えるかもしれない。特に胸の消毒やヘパフラッシュ、そしてパーミロールを貼っての入浴など気を使う作業は、ママにしか出来なかったから。

さて、いわゆる維持療法は翌週22日(木)の外来からスタートする。14日の主治医との面談では、いつものように詳しい説明を受けた(以下要点)。

  • 維持療法では、ロイケリン(メルカプトプリン/6-MP)を毎日1回、メソトレキセートを週1回内服する。これを104週、つまり2年間続ける。

  • ロイケリンの作用機序は完全には分かってないが、細胞の増殖周期が比較的遅い場合に効くらしい。今まで強度の高い治療で増殖周期が速い白血病細胞を叩いてきたが、周期が遅い細胞はまだ残っていると考えられ、それをこれから時間をかけて叩いていく。

  • 当然ロイケリンもメソも正常な造血に影響を与える。薬が効いていれば白血球数は低くなるが、効き方に個人差があるため、白血球数が2,000~4,000/㎣に収まるようロイケリンの量を調整する。正常値より低いが日常生活には支障ないレベル。

  • 外来診療は通常4週間おき。ただし最初は薬が効いてくる2週間後に白血球数を確認し、薬の量を増減させる場合はそれが安定するまで2週間おきに外来。毎回採血をしてその結果を元に診察する。

  • 長男坊は強化療法中も造血活動が活発だったため、薬量を増やす可能性大。ちなみに治療最終日(10月13日)の採血では、白血球:11,710/㎣、ヘモグロビン:13.0g/dl、血小板:374,000/㎣と、どれも標準レンジ内。

  • 生活上の制約は一切ない。生ものや発酵食物を食べるのも可。幼稚園など集団生活は、あと1~2ヶ月様子を見て、少なくとも年始(1月)から復帰するのがよいだろう。ただし今年は新型インフルエンザの動向には注意する。

  • 次第に抗がん剤を使っている意識が薄れてくると思うが、免疫抑制のリスクは常に気にかけておいてほしい。

  • 風邪をひいたりして熱が出た場合、一晩様子を見て熱が下がらなければ近くのかかりつけ医か救急病院で診てもらう。通常の風邪くらいであれば、そこで処方される薬で十分。それでも熱が下がらない場合や、インフルエンザなどの危険な感染症の場合は、成育の担当科(血液腫瘍科)に電話を入れて指示に従う。

  • 熱が出たときはロイケリンは休薬する。飲み忘れた場合も翌日に2回分飲むことはせず、1日の所要量を守る。2年間毎日飲み続けるものなので、多少の飲み忘れは想定内。

  • 抗生剤のバクタ(バクトラミン)は、維持療法の間ずっと飲み続ける。カリニ肺炎の予防だけが目的だが、カリニ肺炎は生命に関わる極めて重篤な病気であり、抗がん剤の免疫抑制によって罹る可能性があるため必ず服用する。カリニ肺炎は人体に常在すると言われている真菌が病原体で、通常は免疫に抑えられ増殖・発症することがない。

  • 過去のワクチン接種でついた免疫は、今回の化学療法くらいで消えることはない。しかし必ずしも予防接種で抗体ができているとは限らないので、心配なら来週の外来時に抗体検査をしてもよい。抗がん剤使用中のワクチン接種は原則不可、特に生ワクチンは「禁忌」なので、もし抗体がついてなかった場合はその病気にかからないよう注意する。

  • インフルエンザは不活化ワクチンなので絶対駄目なわけではないが、副作用のリスクを考えると維持療法の間は接種せず、罹患しないよう気をつけているほうがよい。

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強化療法の後半、7月から今回の退院までの治療記録を最後に記す。6月までは「番外編(3)強化療法」を参照のこと。

7月以降は月に数泊入院するだけで、自宅療養期間という感じだった。自宅では雨が降らない限りほぼ毎日散歩や外遊びをし、週末は家族で出かけ、夏は2泊3日の旅行もした。それでも感染にはかなり気を付けていたので、ちょっとした風邪にも罹ることがなく、38度以上の熱は一度も出さずに済んだ。入院中心の頃に比べると、精神的に落ち着き、野菜や魚介類もよく食べるようになり、よく日焼けしてパッと見は健康優良児。しかし副作用が全くないわけではなく、プレドニン服用期間は、食欲が亢進し、肉・卵・チーズを異常に好み、テンションが高く怒りっぽい。反対にメソが入るとしばらくは食欲がなくなり、テンションが下がる。特に髄注は最後まで相当こたえたらしく、注射後はベッドで1日ぐったりしていたようだ。

2009年7月2日(木)から2週間

  • プレドニン(プレドニゾロン): Day1-15の毎日3回内服
  • オンコビン(ビンクリスチン): Day1, 8, 15
  • ロイナーゼ(L-アスパラギナーゼ): Day8, 15(皮下注射)
  • Day1は外来、Day8とDay15に1泊ずつ入院

2009年7月28日(火)

  • 髄注とメソトレキセート(MTX)中容量 ― 500mg/㎡の6時間点滴
  • メソの血中濃度が下がるまで2泊入院

2009年8月18日(火)から2週間

  • プレドニン(プレドニゾロン): Day1-15の毎日3回内服
  • オンコビン(ビンクリスチン): Day1, 8, 15
  • ロイナーゼ(L-アスパラギナーゼ): Day8, 15(皮下注射)
  • Day1は外来、Day8とDay15に1泊ずつ入院

2009年9月15日(火)

  • 髄注とメソトレキセート(MTX)中容量 ― 500mg/㎡の6時間点滴
  • メソの血中濃度が下がるまで2泊入院

2009年9月29日(火)から2週間

  • プレドニン(プレドニゾロン): Day1-15の毎日3回内服
  • オンコビン(ビンクリスチン): Day1, 8, 15
  • ロイナーゼ(L-アスパラギナーゼ): Day8, 15(皮下注射)
  • Day1は外来、Day8に1泊入院、Day15から2泊入院
  • Day16に中心静脈カテーテルを抜去し、翌日退院

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番外編: 急性リンパ性白血病(4) 染色体異常

話は前後するが、最初の骨髄穿刺から3週間ほど経った昨年12月20日頃、染色体・遺伝子検査の結果が出た。小児ALLの予後不良因子であるフィラデルフィア染色体(BCR-ABLキメラ遺伝子)とMLL遺伝子再構成を調べるのが最大の目的ということで、その結果いかんでは超高リスク群になるため、医師から話を聞くときは緊張した。結論から言えばそれらは陰性だったが、様々な転座や欠失を含む「複雑核型」で、ALLの予後に関しては「ニュートラル」という判定。ただし、染色体数が1本少ない45本で、それもAMLやMDSで予後不良とされるモノソミー7(7番染色体が一つしかない)だったのが気がかりである。主治医いわく「モノソミー7を心配されると思いますが、ALLとの関連に対してはっきりしたことが分かっていないので、現在の標準リスクでの治療を続けます」ということで、まあ気にかけても仕方ないと自分達を納得させる。

具体的には、染色体・遺伝子検査は次の3つの方法で行われた。

  • BCR-ABLキメラ遺伝子をターゲットにしたFISH法: 陰性
  • MLL遺伝子をターゲットにしたPCR法: 陰性
  • 一般的な染色体検査であるGバンド法: 分析した17の細胞のうち4つに、モノソミー7を含む複雑核型が見られた

白血病の様々な病型と遺伝子異常の関与、そもそもの病気のメカニズムなど、素人にはなかなか理解が難しい。「白血病の原因、発症機序、再発の予測など医学者の間でも分からないことだらけ」という医師の言説のレベル感からして、我々には雲をつかむような話である。難病とはそういうものなのかもしれないが、今や多くの子供達が再発せず「治った」とされるのも事実。将来の予見は難しいが、今後も冷静に向き合っていくしかないのだろう。

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番外編: 急性リンパ性白血病(3) 強化療法

長男坊(4歳)の白血病治療は、寛解に達してからも強化療法と呼ばれる抗がん剤の多剤併用療法が約8か月続けられる。今(2009年6月)もその最中であるが、退院・自宅療養の割合が次第に多くなってくる。これまでは幸いなことに感染や重篤な副作用で治療が大きく遅れることなく、TCCSG/ALL標準リスク群の治療計画(プロトコール)に沿ってほぼスケジュール通りに進捗してきた。

2009年1月26日(月)から3週間

  • エンドキサン(シクロホスファミド): Day1のみ
  • キロサイド(シタラビン/Ara-C): Day1-5, Day8-12, Day15-19
  • ロイケリン(メルカプトプリン/6-MP): Day1-21の毎日1回内服
  • 髄注: Day1, 15

プレドニンを飲んでいたときとは打って変わって食欲が減退し、おかずに少し箸をつけるくらいで、おやつにも興味を示さなくなった。しかし寛解後の1週間ほどの一時退院で、身体だけでなく精神的にもすっかり元の調子に回復してきたため、以前に比べてだいぶ落ち着いた入院生活ができた。毎週末、外泊で家に帰れたのも大きい。最後の週は骨髄抑制でベッドにクリーンが付いたためその週末は外泊できず、好中球と血小板の回復を待って4週目の週末に外泊。5週目半ばの2月25日(水)に再び退院できた。この治療フェーズからはパパが毎朝早く病院に行くこともなくなり、10時過ぎにママが来るまで一人で過ごせるようになった。

2009年3月2日(月)から3週間

  • 髄注とメソトレキセート(MTX)大量療法 ― 3,000mg/㎡
  • 初日(1週目)は12時間点滴、2週目と3週目は24時間点滴
  • MTX投与から3日後に毒性を中和するロイコボリンを投与
  • 点滴開始前に髄注(Day1, 8, 15)

髄注してからMTXを大量に点滴するため、さすがにその日はぐったりしていたが、翌日にはかなり復活してきた。このフェーズの主目的は中枢神経予防相、つまり薬が到達しにくい中枢神経からの再発防止である。MTXは口内炎や粘膜障害などが起こりやすいとされ、同室のリンパ腫の子もMTXの副作用に苦しめられていたので心配だったが、長男坊には特にキツイ副作用は起こらなかった。相変わらず髪の毛もほとんど抜けず、主治医の先生も「ここまできたら今後も抜けないでしょう」と。今回も毎週末外泊でき、血液の状態が完全に正常化するのを確認して、3月31日(火)に退院した。

2009年4月1日(水)から2週間

  • ロイケリン(メルカプトプリン/6-MP): Day1-15の毎日1回内服
  • メソトレキセート(MTX): Day1, 8, 15に内服

維持療法と全く同じ内容。比較的弱い薬の内服だけなので、毎週木曜に外来で診察・血液検査するだけでずっと「退院」の状態だった。以前このブログにも書いたように、この期間中に湘南や箱根へお出かけできた。ブログには書いてないが、再入院前日の4月26日(日)、よみうりランドにも遊びに行った。

2009年4月23日(木)から2週間

  • プレドニン(プレドニゾロン): Day1-15の毎日3回内服
  • オンコビン(ビンクリスチン): Day1, 8, 15
  • ピノルビン(ピラルビシン): Day1, 8, 15
  • ロイナーゼ(L-アスパラギナーゼ): Day5, 8, 12, 15(皮下注射)

治療初日は外来の点滴で済み、入院したのはロイナーゼを注射する4月27日(月)。その翌日から次のロイナーゼ注射日まで2泊外泊し、ロイナーゼを打つ日はその影響をモニターする1泊入院、というサイクルを繰り返した。しかし最後に薬が入ったDay15の5月7日(木)あたりから骨髄抑制が出始め、5月11日(月)の血液検査で好中球が290/㎣まで下がっていたためベッドにクリーンが付いた。その後好中球は100/㎣程度まで下がるが、18日の血液検査で320/㎣に戻り、正常造血の復活の指標となる網状赤血球(Retic)や血小板の回復傾向が認められたので、ようやく外泊許可。それから2-3泊の入院と外泊を繰り返し、25日には好中球が800/㎣以上に増えていたためそのまま次の治療に入ることになった。

2009年5月25日(月)から2週間

  • エンドキサン(シクロホスファミド): Day1のみ
  • キロサイド(シタラビン/Ara-C): Day1-5, Day8-12
  • ロイケリン(メルカプトプリン/6-MP): Day1-14の毎日1回内服

最初の週末だけ外泊で家に帰れたが、後半から再び好中球が下がり、血小板も急激に減少したため、最後の週末は外泊できず。投薬が終わった次の週(6月8日~10日)は、好中球が500/㎣前後、血小板が5,000/㎣を下回る状態になったが、6月12日(金)には回復傾向が見られたので、「よく注意して」という条件でその週末の外泊を許された。そして日曜に成育に戻って、そのまま次の治療へ。この治療の前後には、12月から同じ病室で仲良くなった2人が次々退院していき、長らく固定メンバーだった長男坊の病室も入れ替わり始めた。

2009年6月16日(火)

  • 髄注とメソトレキセート(MTX)大量療法 ― 500mg/㎡の6時間点滴

前回の大量MTXに比べれば「中量」療法だが、髄注と同時なので相当こたえるらしく、普段は「何の病気?」と疑われるくらい元気な長男坊もこの日は起き上がれなかったようだ。6月19日(金)、MTXの血中濃度が下がったのを確認して退院。骨髄抑制で好中球はまだ500/㎣程度なため、感染リスクの高い外出はなるべく避けるよう注意される。しかしエネルギーが有り余っているので、次男坊と一緒にマンションの中庭で遊んだり、近所で自転車に乗ったりして屋外で発散した。

これからは治療強度が弱まり、入院よりも家にいるのが中心になる。カテーテルを抜いて通院・内服の維持療法に移行するまで、このまま順調に行ってあと4か月。もうしばらくの辛抱だ。

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番外編: 急性リンパ性白血病(2) 寛解導入療法

寛解導入療法(TCCSG/ALL標準リスク)の投薬スケジュールは以下の通り。

  • プレドニン(プレドニゾロン): 初日から6週間、毎日3回(内服)
  • オンコビン(ビンクリスチン): Day8, 15, 22, 29, 36(静注)
  • ピノルビン(ピラルビシン): Day15, 22(静注)
  • ロイナーゼ(L-アスパラギナーゼ): 3~5週目、2日おき週3回(点滴)
  • 髄注(MTX、Ara-C、ヒドロコルチゾン): Day8, 22

初日の2008年12月5日から1週間はプレドニンだけの投与だが、驚くほど急速に白血球値が下がり、末梢血中に白血病細胞(芽球)はほとんど見られなくなった。前日の血液検査では、白血球:2,770/㎣、ヘモグロビン:7.2g/dl、血小板:93,000/㎣。それが治療開始から1週間後の12月12日(Day8)には、白血球:840/㎣、ヘモグロビン:8.1g/dl、血小板:31,000/㎣。最初の1週間は腫瘍崩壊症候群のケアのために大量輸液を行い、しょっちゅう尿を出す。幸い重い副作用はなく、治療反応性も良好という判定だった。

このプレドニンというステロイド剤はシロップに混ぜても相当苦味があるらしく、長男坊は飲むのを抵抗するようになり、苦労した。4歳前で20キロ超えの大きな体なので、この年齢の割にはかなり多い量を処方されるようだ。そしてなかなか家に帰れないばかりか、朝看護師に起こされたら自分一人(ママは夜寝付かせたら自宅に帰るため)なので超不機嫌。ムスッとして朝食を食べず、10時頃ママが病院に着くころには空腹のせいもあり、雄叫びを上げてキレた状態が続いてしまう。もうママが参ってしまいそうなので、毎朝7時の朝食までにパパが病院に行き、食べさせたり少し遊んでから会社に行くことにした。そして、10時前にママが来て夜寝るまで付き添い。2歳の次男坊は日中は保育園に通い、夕方から夜はばぁば(ママの母)が面倒を見るという生活パターンになった。

12月10日頃になって精神状態が安定し、大部屋に移って同じ病室の子供達とも話すようになり、入院2週間くらいで(12月14日頃)ようやく落ち着いてきた。成育の大部屋はベッドの間隔がゆったりして、衣類だけでなく玩具や本を置くスペースも広く、長期入院に適した環境だ。それに小児専門の大病院だけに、年齢・性別や病気の種類ごとに部屋割りがされるので、周囲にそれほど気を使わなくて済む。長男坊の部屋も3~7歳の小児がんの男の子ばかり4人なので、ふざけた話を言い合ったり、玩具を貸し合ったりしてすぐ仲良くなるし、ママ同士も連帯感が生まれてくる。

治療は副作用の出方をモニターしながらスケジュール通りに粛々と進んでいく。ピノルビンが入るDay15あたりから、白血球の中でも好中球が100を切るようになり、ベッドにクリーンウォールが付いた。もう完全に自由を奪われた状態だが、長男坊も動くの億劫そうで寝そべっていることが多くなった。毎日飲むプレドニンの影響で食欲は驚くほど旺盛。そして次第に顔がまん丸のムーンフェイスになってくる。しかし髪の毛は抜けない。実はこれを書いている今もって、髪はほとんど抜けていない(色は薄くなっているが)。こうしてクリーンが付いたベッドで2009年のお正月を迎えた。

治療開始から5週間近く経った2009年1月7日(Day34)、白血球と血小板がにわかに増え始めた。白血球:1,530/㎣、ヘモグロビン:9.0g/dl、血小板:349,000/㎣。そして最後のオンコビンとロイナーゼを投与した1月9日(Day36)には、白血球:2,220/㎣(好中球は700)、ヘモグロビン:9.0g/dl、血小板:514,000/㎣まで回復してクリーンが外れ、翌1月10日(土)から2泊の外泊が認められた。長男坊にとって1ヶ月半ぶりの帰宅であり、ちょうど4歳の誕生日を自宅で祝える絶好のタイミングだった。

12日は再び病院に戻り、今後カテーテルを付けたまま家で過ごせるように、ママがヘパロックや消毒の方法を看護師からみっちり教わった。13日(Day40)の血液検査は、白血球:2,880/㎣(好中球は1,800)、ヘモグロビン:9.0g/dl、血小板:522,000/㎣。15日(Day42)にようやくプレドニンの内服も終わり、骨髄穿刺(マルク)の結果、完全寛解が確認された。そして1月17日(土)に荷物をまとめて退院手続き。次の治療が始まる1月26日(月)まで、自宅でゆっくり休んで体力を回復することになる。オンコビンの影響もあるのか、外泊・退院時はよたよたして上手に歩けなかったが、10日後に再び成育に戻ってきたときにはピンピンに回復してきた。話す様子なんかも普段の長男坊に戻り、病室の仲間からは「最初の入院の頃とは別人みたい」と驚かれた。

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番外編: 急性リンパ性白血病(1) 緊急入院

長男坊の白血病(ALL)について記録に残しておこうと思う。

発端は昨年2008年の11月半ば、珍しく風邪が長引き、風邪が治っても顔色が悪いままで気分の起伏が激しい状態が続いた。そして口内炎。顔色は「黄色い」とも「青白い」とも見え、どうも変だなということで、11月28日(金)に再び近所の小児科医へ連れて行った。今度は貧血を疑い採血し、夕方血液検査の結果を聞きに医者へ行ったところ、「赤血球、血小板が異常に少ない重度の貧血で、頭をぶつけたり怪我すると大変。白血病などの可能性もあるので、すぐに大学病院に行くように」とのことで、動転するママはそのまま長男坊をタクシーに乗せ近くの大学病院へ。もう夜になっていたので、救急外来で取りあえず点滴と採血をして待機しているところへ、会社からパパも駆け付けた。

この大学病院での血液検査の結果は、白血球:5,940/㎣、ヘモグロビン:5.1g/dl、血小板:23,000/㎣。白血球は一見正常だが、そのうち30%はBlast(芽球)という通常は血管に出てこない血液細胞が見られ、白血病の可能性が非常に高いという説明を受けた。そしてそのまま緊急入院。しかしここには血液の専門医がいないため、明朝小児科の医師が来たら、血液科のある病院を探しましょうということになった。このとき長男坊は3歳10ヶ月。

翌29日(土)は、この大学病院の小児科医と転院先について相談し、やはり自宅から通いやすい所が良いだろうということで、小児専門病院の国立成育医療センターに連絡してもらい、週明けから成育に転院して本格的な検査と治療を受けることが決まった。成育の血液の先生からの指示で、取りあえずは輸血で貧血を抑え、感染防止のために個室に入って週末を過ごした。長男坊は輸血したら少し元気を取り戻した。

2008年12月1日(月)はパパも仕事を休み、長男坊とママを家の車に乗せて世田谷の成育医療センターへ転院した。まず外来で感染症のチェックをし、それから入院手続きをして病棟へ案内されたが、大部屋が空いてないためしばらくクリーンルームに入ることになってしまった。そしてすぐに骨髄穿刺(マルク)。ただでさえ声の大きい長男坊の大泣き絶叫が処置室から聞こえてくる。その後ようやくお昼ご飯だが、超機嫌悪い。午後はCTやいくつかの検査があり、夕方になって両親揃って主治医から詳しい説明を受ける。この時点での診断は、吸引した骨髄の95%以上は異常細胞(芽球)で占められ、形態観察とペルオキシターゼ反応(陰性)から急性リンパ性白血病の可能性が高い。しかし正確には、数日中に出る骨髄の細胞表面抗原解析の結果を見て治療計画を決める。またCTの画像をざっとレビューしたところ、中枢神経などに目立った病変は出ていない。といったようなことで、あとは染色体・遺伝子異常など予後に影響を与える因子や、リスク別治療の考え方、臨床試験・プロトコールのスケジュールについて説明があった。

3日(水)、今後の抗がん剤治療のための中心静脈カテーテルの埋め込み手術があり、腕の点滴が外れて少しは楽になった。4日(木)は再び両親揃って、治療計画について主治医から説明を受ける。まず、細胞表面抗原解析による診断として、急性リンパ性白血病(ALL)、B前駆細胞型(CD10・CD19陽性、T細胞・骨髄球・成熟B細胞陰性)。またCTの専門医による解析から脾臓と腎臓の腫大。

年齢(3歳)・診断時白血球数(約6,000)・免疫表現型(B前駆型)の因子から、現時点ではALLの標準リスク治療で始めることになる。ちなみに小児ALLの長期生存率は80%だが、まだ結果の出ていない予後不良因子(フィラデルフィア染色体・MLL遺伝子再構成・中枢神経病変・ステロイド治療反応性)が出なければ、標準(低)リスク群での治療により90%近い長期生存率を期待できる、と一応ほっと安心できる内容だった。そして翌12月5日(金)をDay1として、抗がん剤による化学療法がスタートすることが決まった。また、主治医からはALLの治療プロトコールとして、世界的に臨床試験の精度が認められているALL-BFM95(ドイツが中心)か、成育を始めとする関東圏の小児医療施設が参加するTCCSG(東京小児がん研究グループ)のどちらかを選ぶよう言われた。このときは文献などをじっくり読んで検討する余裕もなかったので、先生の説明をざっと聞いて何となく無難そうなTCCSGを選択した。後ほど理解が深まるにつれ、主治医の言っていた「BFMのスタディとしての精度」の意味がようやく分かったが、今さら変えようがないし、治療結果自体にはそれほど変わりなさそうだ。

化学療法開始前(12月4日)の末梢血は、白血球:2,770/㎣、ヘモグロビン:7.2g/dl、血小板:93,000/㎣。輸血でヘモグロビンと血小板を維持しており、顔色は以前ほど悪くない。しかし、訳も分からず病院を転々として家に帰れず、嫌なことばかりされて、やや繊細なところがある長男坊は欲求不満が爆発。ずっと泊まり込みのママはへとへとだし、一方で、ばぁばに面倒みてもらっている次男坊(当時2歳になって間もない)はママが恋しくてたまらない。そろそろママも長男坊を夜寝かしつけたら帰宅し、我が家の体制を立て直すことにして、最初の抗がん剤治療―寛解導入療法に臨んだ。

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