番外編: 急性リンパ性白血病(2) 寛解導入療法
寛解導入療法(TCCSG/ALL標準リスク)の投薬スケジュールは以下の通り。
- プレドニン(プレドニゾロン): 初日から6週間、毎日3回(内服)
- オンコビン(ビンクリスチン): Day8, 15, 22, 29, 36(静注)
- ピノルビン(ピラルビシン): Day15, 22(静注)
- ロイナーゼ(L-アスパラギナーゼ): 3~5週目、2日おき週3回(点滴)
- 髄注(MTX、Ara-C、ヒドロコルチゾン): Day8, 22
初日の2008年12月5日から1週間はプレドニンだけの投与だが、驚くほど急速に白血球値が下がり、末梢血中に白血病細胞(芽球)はほとんど見られなくなった。前日の血液検査では、白血球:2,770/㎣、ヘモグロビン:7.2g/dl、血小板:93,000/㎣。それが治療開始から1週間後の12月12日(Day8)には、白血球:840/㎣、ヘモグロビン:8.1g/dl、血小板:31,000/㎣。最初の1週間は腫瘍崩壊症候群のケアのために大量輸液を行い、しょっちゅう尿を出す。幸い重い副作用はなく、治療反応性も良好という判定だった。
このプレドニンというステロイド剤はシロップに混ぜても相当苦味があるらしく、長男坊は飲むのを抵抗するようになり、苦労した。4歳前で20キロ超えの大きな体なので、この年齢の割にはかなり多い量を処方されるようだ。そしてなかなか家に帰れないばかりか、朝看護師に起こされたら自分一人(ママは夜寝付かせたら自宅に帰るため)なので超不機嫌。ムスッとして朝食を食べず、10時頃ママが病院に着くころには空腹のせいもあり、雄叫びを上げてキレた状態が続いてしまう。もうママが参ってしまいそうなので、毎朝7時の朝食までにパパが病院に行き、食べさせたり少し遊んでから会社に行くことにした。そして、10時前にママが来て夜寝るまで付き添い。2歳の次男坊は日中は保育園に通い、夕方から夜はばぁば(ママの母)が面倒を見るという生活パターンになった。
12月10日頃になって精神状態が安定し、大部屋に移って同じ病室の子供達とも話すようになり、入院2週間くらいで(12月14日頃)ようやく落ち着いてきた。成育の大部屋はベッドの間隔がゆったりして、衣類だけでなく玩具や本を置くスペースも広く、長期入院に適した環境だ。それに小児専門の大病院だけに、年齢・性別や病気の種類ごとに部屋割りがされるので、周囲にそれほど気を使わなくて済む。長男坊の部屋も3~7歳の小児がんの男の子ばかり4人なので、ふざけた話を言い合ったり、玩具を貸し合ったりしてすぐ仲良くなるし、ママ同士も連帯感が生まれてくる。
治療は副作用の出方をモニターしながらスケジュール通りに粛々と進んでいく。ピノルビンが入るDay15あたりから、白血球の中でも好中球が100を切るようになり、ベッドにクリーンウォールが付いた。もう完全に自由を奪われた状態だが、長男坊も動くの億劫そうで寝そべっていることが多くなった。毎日飲むプレドニンの影響で食欲は驚くほど旺盛。そして次第に顔がまん丸のムーンフェイスになってくる。しかし髪の毛は抜けない。実はこれを書いている今もって、髪はほとんど抜けていない(色は薄くなっているが)。こうしてクリーンが付いたベッドで2009年のお正月を迎えた。
治療開始から5週間近く経った2009年1月7日(Day34)、白血球と血小板がにわかに増え始めた。白血球:1,530/㎣、ヘモグロビン:9.0g/dl、血小板:349,000/㎣。そして最後のオンコビンとロイナーゼを投与した1月9日(Day36)には、白血球:2,220/㎣(好中球は700)、ヘモグロビン:9.0g/dl、血小板:514,000/㎣まで回復してクリーンが外れ、翌1月10日(土)から2泊の外泊が認められた。長男坊にとって1ヶ月半ぶりの帰宅であり、ちょうど4歳の誕生日を自宅で祝える絶好のタイミングだった。
12日は再び病院に戻り、今後カテーテルを付けたまま家で過ごせるように、ママがヘパロックや消毒の方法を看護師からみっちり教わった。13日(Day40)の血液検査は、白血球:2,880/㎣(好中球は1,800)、ヘモグロビン:9.0g/dl、血小板:522,000/㎣。15日(Day42)にようやくプレドニンの内服も終わり、骨髄穿刺(マルク)の結果、完全寛解が確認された。そして1月17日(土)に荷物をまとめて退院手続き。次の治療が始まる1月26日(月)まで、自宅でゆっくり休んで体力を回復することになる。オンコビンの影響もあるのか、外泊・退院時はよたよたして上手に歩けなかったが、10日後に再び成育に戻ってきたときにはピンピンに回復してきた。話す様子なんかも普段の長男坊に戻り、病室の仲間からは「最初の入院の頃とは別人みたい」と驚かれた。
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