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2009年5月

番外編: 急性リンパ性白血病(2) 寛解導入療法

寛解導入療法(TCCSG/ALL標準リスク)の投薬スケジュールは以下の通り。

  • プレドニン(プレドニゾロン): 初日から6週間、毎日3回(内服)
  • オンコビン(ビンクリスチン): Day8, 15, 22, 29, 36(静注)
  • ピノルビン(ピラルビシン): Day15, 22(静注)
  • ロイナーゼ(L-アスパラギナーゼ): 3~5週目、2日おき週3回(点滴)
  • 髄注(MTX、Ara-C、ヒドロコルチゾン): Day8, 22

初日の2008年12月5日から1週間はプレドニンだけの投与だが、驚くほど急速に白血球値が下がり、末梢血中に白血病細胞(芽球)はほとんど見られなくなった。前日の血液検査では、白血球:2,770/㎣、ヘモグロビン:7.2g/dl、血小板:93,000/㎣。それが治療開始から1週間後の12月12日(Day8)には、白血球:840/㎣、ヘモグロビン:8.1g/dl、血小板:31,000/㎣。最初の1週間は腫瘍崩壊症候群のケアのために大量輸液を行い、しょっちゅう尿を出す。幸い重い副作用はなく、治療反応性も良好という判定だった。

このプレドニンというステロイド剤はシロップに混ぜても相当苦味があるらしく、長男坊は飲むのを抵抗するようになり、苦労した。4歳前で20キロ超えの大きな体なので、この年齢の割にはかなり多い量を処方されるようだ。そしてなかなか家に帰れないばかりか、朝看護師に起こされたら自分一人(ママは夜寝付かせたら自宅に帰るため)なので超不機嫌。ムスッとして朝食を食べず、10時頃ママが病院に着くころには空腹のせいもあり、雄叫びを上げてキレた状態が続いてしまう。もうママが参ってしまいそうなので、毎朝7時の朝食までにパパが病院に行き、食べさせたり少し遊んでから会社に行くことにした。そして、10時前にママが来て夜寝るまで付き添い。2歳の次男坊は日中は保育園に通い、夕方から夜はばぁば(ママの母)が面倒を見るという生活パターンになった。

12月10日頃になって精神状態が安定し、大部屋に移って同じ病室の子供達とも話すようになり、入院2週間くらいで(12月14日頃)ようやく落ち着いてきた。成育の大部屋はベッドの間隔がゆったりして、衣類だけでなく玩具や本を置くスペースも広く、長期入院に適した環境だ。それに小児専門の大病院だけに、年齢・性別や病気の種類ごとに部屋割りがされるので、周囲にそれほど気を使わなくて済む。長男坊の部屋も3~7歳の小児がんの男の子ばかり4人なので、ふざけた話を言い合ったり、玩具を貸し合ったりしてすぐ仲良くなるし、ママ同士も連帯感が生まれてくる。

治療は副作用の出方をモニターしながらスケジュール通りに粛々と進んでいく。ピノルビンが入るDay15あたりから、白血球の中でも好中球が100を切るようになり、ベッドにクリーンウォールが付いた。もう完全に自由を奪われた状態だが、長男坊も動くの億劫そうで寝そべっていることが多くなった。毎日飲むプレドニンの影響で食欲は驚くほど旺盛。そして次第に顔がまん丸のムーンフェイスになってくる。しかし髪の毛は抜けない。実はこれを書いている今もって、髪はほとんど抜けていない(色は薄くなっているが)。こうしてクリーンが付いたベッドで2009年のお正月を迎えた。

治療開始から5週間近く経った2009年1月7日(Day34)、白血球と血小板がにわかに増え始めた。白血球:1,530/㎣、ヘモグロビン:9.0g/dl、血小板:349,000/㎣。そして最後のオンコビンとロイナーゼを投与した1月9日(Day36)には、白血球:2,220/㎣(好中球は700)、ヘモグロビン:9.0g/dl、血小板:514,000/㎣まで回復してクリーンが外れ、翌1月10日(土)から2泊の外泊が認められた。長男坊にとって1ヶ月半ぶりの帰宅であり、ちょうど4歳の誕生日を自宅で祝える絶好のタイミングだった。

12日は再び病院に戻り、今後カテーテルを付けたまま家で過ごせるように、ママがヘパロックや消毒の方法を看護師からみっちり教わった。13日(Day40)の血液検査は、白血球:2,880/㎣(好中球は1,800)、ヘモグロビン:9.0g/dl、血小板:522,000/㎣。15日(Day42)にようやくプレドニンの内服も終わり、骨髄穿刺(マルク)の結果、完全寛解が確認された。そして1月17日(土)に荷物をまとめて退院手続き。次の治療が始まる1月26日(月)まで、自宅でゆっくり休んで体力を回復することになる。オンコビンの影響もあるのか、外泊・退院時はよたよたして上手に歩けなかったが、10日後に再び成育に戻ってきたときにはピンピンに回復してきた。話す様子なんかも普段の長男坊に戻り、病室の仲間からは「最初の入院の頃とは別人みたい」と驚かれた。

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番外編: 急性リンパ性白血病(1) 緊急入院

長男坊の白血病(ALL)について記録に残しておこうと思う。

発端は昨年2008年の11月半ば、珍しく風邪が長引き、風邪が治っても顔色が悪いままで気分の起伏が激しい状態が続いた。そして口内炎。顔色は「黄色い」とも「青白い」とも見え、どうも変だなということで、11月28日(金)に再び近所の小児科医へ連れて行った。今度は貧血を疑い採血し、夕方血液検査の結果を聞きに医者へ行ったところ、「赤血球、血小板が異常に少ない重度の貧血で、頭をぶつけたり怪我すると大変。白血病などの可能性もあるので、すぐに大学病院に行くように」とのことで、動転するママはそのまま長男坊をタクシーに乗せ近くの大学病院へ。もう夜になっていたので、救急外来で取りあえず点滴と採血をして待機しているところへ、会社からパパも駆け付けた。

この大学病院での血液検査の結果は、白血球:5,940/㎣、ヘモグロビン:5.1g/dl、血小板:23,000/㎣。白血球は一見正常だが、そのうち30%はBlast(芽球)という通常は血管に出てこない血液細胞が見られ、白血病の可能性が非常に高いという説明を受けた。そしてそのまま緊急入院。しかしここには血液の専門医がいないため、明朝小児科の医師が来たら、血液科のある病院を探しましょうということになった。このとき長男坊は3歳10ヶ月。

翌29日(土)は、この大学病院の小児科医と転院先について相談し、やはり自宅から通いやすい所が良いだろうということで、小児専門病院の国立成育医療センターに連絡してもらい、週明けから成育に転院して本格的な検査と治療を受けることが決まった。成育の血液の先生からの指示で、取りあえずは輸血で貧血を抑え、感染防止のために個室に入って週末を過ごした。長男坊は輸血したら少し元気を取り戻した。

2008年12月1日(月)はパパも仕事を休み、長男坊とママを家の車に乗せて世田谷の成育医療センターへ転院した。まず外来で感染症のチェックをし、それから入院手続きをして病棟へ案内されたが、大部屋が空いてないためしばらくクリーンルームに入ることになってしまった。そしてすぐに骨髄穿刺(マルク)。ただでさえ声の大きい長男坊の大泣き絶叫が処置室から聞こえてくる。その後ようやくお昼ご飯だが、超機嫌悪い。午後はCTやいくつかの検査があり、夕方になって両親揃って主治医から詳しい説明を受ける。この時点での診断は、吸引した骨髄の95%以上は異常細胞(芽球)で占められ、形態観察とペルオキシターゼ反応(陰性)から急性リンパ性白血病の可能性が高い。しかし正確には、数日中に出る骨髄の細胞表面抗原解析の結果を見て治療計画を決める。またCTの画像をざっとレビューしたところ、中枢神経などに目立った病変は出ていない。といったようなことで、あとは染色体・遺伝子異常など予後に影響を与える因子や、リスク別治療の考え方、臨床試験・プロトコールのスケジュールについて説明があった。

3日(水)、今後の抗がん剤治療のための中心静脈カテーテルの埋め込み手術があり、腕の点滴が外れて少しは楽になった。4日(木)は再び両親揃って、治療計画について主治医から説明を受ける。まず、細胞表面抗原解析による診断として、急性リンパ性白血病(ALL)、B前駆細胞型(CD10・CD19陽性、T細胞・骨髄球・成熟B細胞陰性)。またCTの専門医による解析から脾臓と腎臓の腫大。

年齢(3歳)・診断時白血球数(約6,000)・免疫表現型(B前駆型)の因子から、現時点ではALLの標準リスク治療で始めることになる。ちなみに小児ALLの長期生存率は80%だが、まだ結果の出ていない予後不良因子(フィラデルフィア染色体・MLL遺伝子再構成・中枢神経病変・ステロイド治療反応性)が出なければ、標準(低)リスク群での治療により90%近い長期生存率を期待できる、と一応ほっと安心できる内容だった。そして翌12月5日(金)をDay1として、抗がん剤による化学療法がスタートすることが決まった。また、主治医からはALLの治療プロトコールとして、世界的に臨床試験の精度が認められているALL-BFM95(ドイツが中心)か、成育を始めとする関東圏の小児医療施設が参加するTCCSG(東京小児がん研究グループ)のどちらかを選ぶよう言われた。このときは文献などをじっくり読んで検討する余裕もなかったので、先生の説明をざっと聞いて何となく無難そうなTCCSGを選択した。後ほど理解が深まるにつれ、主治医の言っていた「BFMのスタディとしての精度」の意味がようやく分かったが、今さら変えようがないし、治療結果自体にはそれほど変わりなさそうだ。

化学療法開始前(12月4日)の末梢血は、白血球:2,770/㎣、ヘモグロビン:7.2g/dl、血小板:93,000/㎣。輸血でヘモグロビンと血小板を維持しており、顔色は以前ほど悪くない。しかし、訳も分からず病院を転々として家に帰れず、嫌なことばかりされて、やや繊細なところがある長男坊は欲求不満が爆発。ずっと泊まり込みのママはへとへとだし、一方で、ばぁばに面倒みてもらっている次男坊(当時2歳になって間もない)はママが恋しくてたまらない。そろそろママも長男坊を夜寝かしつけたら帰宅し、我が家の体制を立て直すことにして、最初の抗がん剤治療―寛解導入療法に臨んだ。

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御岳山と羽村市動物公園

Blog010_1 今年(2009年)のゴールデンウィークは長男坊の入院予定(急性リンパ性白血病で治療中)と重なるため、パパと次男坊だけで青梅の実家に行くことになった。初日の5月3日(日)は青梅鉄道公園へ。やや出遅れて10時半に到着したため駐車場が心配だったが、意外と回転が早くしばらく待っていたらすぐに停められた。そして翌5月4日(月)は御岳山でケーブルカーに乗ろうと、電車で御嶽駅へ向かった。ゴールデンウィーク中に車で御岳山に行くのはナンセンスだし(よほど朝早く行かないと駐車場に入れない)、2歳の次男坊がとにかく電車に乗りたがるので、青梅線とバスを乗り継いで御岳山ケーブルカーの滝本駅を目指す。ホリデー快速で9:36御嶽着。ちょうどここで、201系を改造した展望型電車「四季彩」が反対の上り線に入ってきたので次男坊と記念撮影をした。

Blog020_1 さすがに5月連休は電車&バスで行く人も非常に多く、御嶽駅から滝本駅まで臨時のバスが何台かピストン輸送している。それでもバスに乗る順番待ちで時間がかかり、滝本駅に着いたのは10時過ぎ。ここでもケーブルカーに乗るための長い行列が出来ていて、結局30分くらい待ってようやく乗ることができた。普段は休日でもノンビリした風情の御岳山ケーブルカーだが、この日はさすがに忙しく10分間隔で発車。行きも帰りも一番前に陣取り、次男坊に眼下のケーブルを指差してその仕組みを教えるが、次男坊からは「ロープウェー!」とか「江ノ電!」とか珍回答が返ってきて楽しい。御岳山ではお弁当を食べて森を散歩して、新緑の中を1時間くらい過ごして帰宅した。

Blog034_15月5日(火)は隣町の羽村市動物公園に行った。マイナーな動物園だが駐車場は油断ならないので、開園時間(9時)に合わせて車で出かけた。9時ちょうどに到着し余裕で停められたが、案の定それから続々と車がやってくる。エントランスに近い駐車場は9時半には埋まってしまいそうだ。さて次男坊は、キリンやシマウマやダチョウがいるサバンナ園(おそらく羽村の最大の売り)には大して関心を示さず、サバンナ園の前でシンケンジャーになりきってひたすら一人闘いごっこ。。。しかし小動物とのふれあいコーナーは大層気に入ったようで、ヤギやウサギやリクガメを触ろうとなかなか動かない。実際には「なでる」というより、30秒に一回くらいの間隔で勇気を振り絞ってタッチするのだが、これを飽きずに延々と繰り返す。他に釘付けになったのはサル山。やはり2歳児は動きのあるものが好きなのだ。あっという間にお昼が近づくが、お弁当を用意してこなかったので昼前に動物園を引き上げた。そして実家で昼食を取り、午後川崎の自宅に帰宅した。

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